最後の晩餐 (2)

 ダイニングのテーブルの上はシャンパンまで完璧にセッティングされ、食事のはじまりを待つばかりだった。カヤネはもともと身につけていたであろう群青のシャツを着てボタンを留め、上のふたつをはずした。間もなく、綿の部屋着にゆったりと身を包んだヒサキがあらわれた。長い髪をおおまかに束ねているせいで、細い首がより一層際立ってみえる。硬さのある綿はヒサキの身体により添わず、絹よりも彼女の身体をひとまわり小さくみせた。
 カヤネが紳士のふりをして椅子をひく。ヒサキは冗談めかして優美に会釈をし、その椅子に座った。リヅとカヤネもそれぞれ食卓へつく。ヒサキがシャンパンのグラスを傾け、遅い午後の食事がはじまった。
 順調に食べすすめるヒサキを見て、リヅは自分の味付けが今日も正しかったことにほっとする。リヅの舌では薄味かと感じるくらいの塩加減をヒサキは好んだ。カヤネにとっても薄いかもしれないが、彼も特に不満は見せずに食べていた。シャンパンはおそらく、ヒサキの崇拝者が置いていったものだ。酒に疎いリヅでも、相当上質のシャンパンであることはわかる。蜂蜜の色をした発泡酒をたたえるグラスを、ヒサキの硬質な指先が持ち上げる様にリヅは思わず見とれた。
 ささやかな食卓はすぐに空になり、ヒサキはリヅの注いだ3杯目のシャンパンを傾ける。リヅはカヤネにもすすめたが、カヤネは辞退して席を立った。
「ごちそうさま。もう行かないといけないんだ」
 カヤネは大きな骨張った手のひらでヒサキの頭を包む。
「じゃあ、また」
 短く別れを言い置いて、カヤネはダイニングを出る。カヤネの言葉に対してヒサキは何も応えなかったが、カヤネの手のひらの温度を愛おしむように目を細めたのをリヅは見た。それは、ヒサキの周囲にいることを許されるようになってから初めて見る表情で、リヅは理由のわからない不安がわきあがるのを感じた。

 カヤネが出て行き、扉が閉まる音がした。ヒサキは見送ることもせず、残りのシャンパンを飲み干した。リヅは不安を打ち消すように自分に言い聞かせながら空いた皿を片付ける。ヒサキのグラスも片付けようと手にすると、リヅ、とヒサキが呼んだ。
「髪を切って欲しいの。少し伸びたから」
 この前ヒサキの髪を切ったのは、そう遠い話ではない。リヅの予定からみても、まだ鋏を入れなくとも良いはずだった。リヅはヒサキの意をはかりかねたが、彼女が望むならば素直に応じるほかはない。
 リビングに用意をし、脚の高いスツールにヒサキを座らせてナイロンのクロスで身体を覆う。ヒサキの髪を湿らせてゆっくりと梳いた。それが気持ち良いのか、ヒサキは目を閉じる。
「ねえ、リヅ。カヤネをどう思った?」
 リヅは手を止める。ヒサキがリヅに他の男の話をすることなど、今まで一度もないことだ。リヅの中の不安が、より一層濃く重く心にのしかかる。
「どうって?」
「リヅにだけは話しておきたいことがあるの」
 ヒサキは目を開き、首を傾げてリヅと目を合わせる。赤鉄鉱(ヘマタイト)の虹彩が、リヅの目をとらえた。その先のヒサキの言葉を聞きたくない。そう思っても、ヒサキが言葉を止めることはない。
「わたしは近いうちにここを出て行く。カヤネと、暮らすことに決めた」
 それは、寝室でヒサキが「彼」という言葉に瞬きをしたのを見た時から、リヅの中にうっすらと漂っていた予感だった。カヤネの親しげな手のひらが、それを不安にした。
 ヒサキが、己の美貌のために与えられたこの生活に満足していないことは、リヅにもわかっていた。ヒサキは美しく、そして聡明だ。与えられるばかりでなく、己の望みを己で叶えることのできるひとだ。理想の麗人として、ただ崇められる存在にとどまっているひとではない。それなのに、今までその崇拝の囲みをどうして彼女が破らなかったのか、理由はリヅにはわからなかった。わからなくとも良いと考えることもしなかった。ヒサキのそばで、ヒサキを美しく、ヒサキの心地良いように保つことができるなら、何もわからなくて良い。
「ごめんなさい。ごめんね、リヅ」
 ナイロンのクロスの下からヒサキの白い手がのぞいて、先ほどまでグラスを傾けていた硬質な指先がリヅの頬に触れた。すっと涙をぬぐう。
「カヤネの、せいだね……」
 リヅの言葉に、ヒサキは小さく首を振る。
「カヤネのおかげ。彼は悪くない。わたしが身勝手なだけ」
 リヅが考えなかった理由を、カヤネは理解したのだ。今、見たこともないほど優しいヒサキの微笑みを前にしても、リヅにはその理由はわからない。それが自分の限界なのだと悟った。
「リヅ、もうここへ来てはだめ。あなたとの約束が果たせなかったこと、本当にごめんね」
 ヒサキの指が、何度もリヅの頬をぬぐう。それでも涙は止まらなかった。
 いっそ何も言わずに消えてくれていたら。そう思いながらも、ヒサキの優しい指先を拒むことなどリヅにはできなかった。

20061227

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