硝子金魚

 町の大通りが今は狭く感じられる程露店が立ち並び、人がひしめいていた。小さな子供の笑う声や泣く声が聞こえ、走り出す下駄の音と大人の制止する声が雑じる。ずらりと並べて吊るされた提灯の灯。砂糖菓子や飴の甘い匂い。
 祭りのその空気の中を、秋市(しゅういち)はひとつの露店をめざしてすすんでいた。途中、級友に声をかけられたが笑って手を振るにとどめた。訝しむ級友の視線を感じたが、かまっている暇はない。秋市にはやるべきことがある。
 目当ての露店を見つけた。金魚すくいの店である。早速小銭をわたしてやってみる。
 狙いをつけ、そっと最中(もなか)を水に差し入れて金魚をすくおうとした。しかし、金魚はすばやくすり抜けてしまう。それを三度程くりかえすと、最中はくずれてしまった。ふやけた最中は、金魚たちがついばむ。秋市はもう一度小銭をわたし、新しい最中を受け取った。けれどまたつかまえる前にだめにしてしまう。もう一回、と云いながら再び新しい最中を受け取った。赤い金魚を目で追いながら、秋市は妹のたまこの顔を思い浮かべた。
――――あかいあかい金魚がほしい。
 白い布団にくるまって、熱でほてった顔で、たまこはそう云った。


 たまこは年の離れた幼い妹だ。母が年経てから生んだためか、どうにも体が弱い。ことあるごとに熱を出し、医者の往診の世話になっている。夏には暑さにやられてぐったりとし、年に一度の祭りの夜は母と留守居が常だった。
 それが、今年は幾分体調が良く例年より涼しい夏であることもあり、いつもより寝込む回数が少なかった。
「今年は祭りに行けるかもしれないよ」
 先日の検診で、かかりつけの医者が云った。たまこは大喜びし、秋市はいつもならば級友と約束して行くのを、今年はたまこと行くために断った。母は急いでたまこの浴衣を新調してやった。幼い子供らしい、白地に色とりどりの模様と金魚帯。真新しい浴衣の白はまぶしいほどで、たまこは毎日それをながめていた。そのたまこの様子を見て、秋市も嬉しく思った。
 ところが今朝、不意に熱を出した。調子が良いからと油断したのがいけなかったらしい。夕刻、医者が往診に来て、数日の安静を云いわたした。たまこの初めての祭り行きは、あっけなく断念された。
「かわいそうだが仕方がないよ。秋ちゃんも楽しみにしていたのにねえ」
 診療所まで送って行った秋市に、医者はそう云った。
 家へ戻り、秋市はたまこの寝ている座敷へと顔を出した。たまこは熱でほてった赤い顔をして泣きじゃくり、目まで赤くしていた。秋市はいっそうかわいそうに思い、頭をなでてやった。
「金魚がほしい……」
 ぽつりとたまこが云った。
「あかいあかい金魚がほしい」
 毎年、たまこには土産を買ってくるのが習慣になっている。水ヨーヨーや綿飴、林檎飴、お面、吹き戻しなど、必ず何かひとつ買ってきてやるのだった。だが、たまこから望むのは初めてだ。
「金魚すくいがしたかったの」
 たまこは泣きながら云った。
 秋市は、必ずとってきてやるからと云って家を出た。


 手持ちの小銭はもうない。しかし金魚は一向につかまらない。秋市はそもそも不器用なのだ。たまこを思うとどうにかしてとってやりたいが、自分の腕では不安である。
「釣銭(つり)はあるかい」
 ため息をつきながら店番に札をわたした。店番はくすくすと笑う。
「兄さん下手だねえ」
 秋市はその声に違和感を覚えた。先刻まで店番は中年の男だったはずだが、顔をあげた先にいるのは、少年である。提灯の橙色の灯が映るほど色は白く、顔だちは奇妙な程整っている。真っ黒で愛嬌のある目が、秋市をおもしろがっていた。
「いつの間に店番が変わったんだ」
「先刻さ。気づかなかったのかい」
 少年はそう云ってまた笑った。秋市はむっとして釣銭を受け取り、少年の差し出した最中を奪い取るようにして再び金魚に目を向けた。
「怒るなよ、兄さん」
 少年がまた笑う。秋市は聞こえないふりをして金魚をすくおうとする。が、うまくいかない。もう一度、もう一度とやっているうち、札をくずした分を使い切ってしまった。それでもまだ一匹もとれていない。少年は実におかしいといった風にじっと見ている。秋市は無言で、ずいっと札を突き出した。少年は笑って受け取る。
「兄さんほど下手なのは見たことがない。これだけやればコツのひとつもわかりそうなものなのに」
「うるさいな。早く釣銭をよこせよ」
 少年の云い草に秋市はむっとしていたが、少年は秋市の口調など少しも気にかけていない風だ。ちゃりちゃりとわざと小銭を鳴らしてゆっくり釣銭を数えている。
「どうしてそんなに熱心にやるのさ」
 その問いに、秋市は押し黙って目をふせてしまった。少年は釣銭を差し出そうとしながら、秋市の様子に怪訝な顔をする。
「妹だよ」
 秋市が口を開いた。
「年の離れた妹がいるんだ。体が弱くて夏はほとんど寝たきりだ。祭りにも来たことがない。それでも近ごろは調子が良さそうで、今日は来られるはずだったんだ。でも今朝熱を出した。あんなに楽しみにしていたのに、来られなくなったんだ。赤い顔をして泣いてたよ。いつもは土産なんか望まないのに、今日ははっきり金魚がほしいって云ったんだ。金魚すくいがしたかったって云ったんだ……」
 そこまで話して、秋市は顔をあげた。
「釣銭をくれよ」
 しかし少年はふっと優しく微笑むと、小銭をもとの通りにしまった。先刻秋市がわたした札を返す。
「こいつはいらないよ」
「何……」
「下手な兄さんにオマケをしてやるよ」
 少年はそう云うと、一番あざやかなあかい金魚を袋にいれてくれた。
「早く妹に持って行ってやりな」
 呆気にとられている秋市に、少年は笑って云った。秋市は目をみはって金魚を見た。
 提灯の灯を反射して鱗が光った。きれいな赤色に金粉をまぶしたかのように、きらきらとしている。
 たまこに見せてやりたい。秋市は慌てて少年に礼を云い、転びそうな勢いで走り出した。
 空はもう夜の色で、あかるい月が出ている。帰り道は暗くはなかった。秋市は全力で走った。それでも手元の金魚は揺らさないよう注意した。転ばないようにも気をつける。家に帰りついたころには、息切れで喉が痛いほどだった。家の前で少し立ち止まり息を整えたが、それ以上は休もうとせず、まっすぐたまこのいる座敷へと向かった。
 たまこは少し回復したようで、半身を起こして絵本を見ていた。息を切らせて走り込んできた兄に目を丸くする。その目の前に、秋市は金魚の袋を突き出した。
「土産だよ」
 たまこにそれを押し付けると、秋市は下を向いてもう一度息を整えた。その耳に、たまこがくすくすと笑うのが聞こえる。何を笑っているのかと、顔をあげ、驚いた。
 袋の中にいたのは、あざやかな紅の硝子細工の金魚だった。
「本物の金魚だったはずなのに……」
 秋市は呆然と呟いた。たまこは声をあげて笑う。しかし喜んだようだった。
「ありがとう」
 にこにこと満面の笑顔でそう云う。
「本物はね、来年自分でつかまえる」
 袋の中の硝子金魚を愛おしそうに見ながらたまこは云った。その様子に、秋市は思わず笑みがこぼれた。
「そうだな」
 云いながらたまこの頭をなでてやった。たまこはふふふ、と笑いながら秋市を見上げた。
 来年、きっとまたあの少年に会える。今度は兄妹そろって下手だと笑われるかもしれないな、と秋市は思った。
 袋の中の硝子金魚が、部屋の灯できらきらとひかっている。

20030308

back

Copyright(C)2003 Peko. All rights reserved. [ROKUSYOUIKE]

女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理