空の下にて

 3月に入って、格段に日が長くなった。部活の帰り道がまだ明るいと嬉しい。
 冬の暗く寒い中を歩いて帰るのは、いくらわたしとミサキといえども無口になってしまうものだ。それでも時々、夜空に星座を見つけて大騒ぎすることもあったけれど。(そして星座は8割がた間違っていたけれど)
 春は、帰る時間にちょうど夕焼けが見える。夏ではこうはいかない。秋の夕焼けは、また違う色をしている。
 春は特別なのだ。
「制服でいて寒くないっていうのはありがたいよね」
「だから冬、ミサキもコート着てれば良かったのに。なっちゃんたちもだけど、冬にコートなしって信じられない」
「カナが寒がりすぎなだけだって。結構平気なもんだよ」
「無理。ぜったい無理」
 断固として言い切ると、寒がりめ、とミサキが笑った。
 わたしたちの歩く上り坂はちょうど西向きで、真正面に夕焼けが見える。軽口を言い合いながらも、わたしたちの目は夕焼けを見ていた。この坂を上りきったら、わたしは右へ、ミサキは左へと別れる。それまでふたりで夕焼けを眺めながら歩くのが、わたしたちの楽しみなのだ。
 暖色から寒色へのグラデーション。住宅街だからあまり高い建物はないけれど、電線が縦横無尽に走る。
 ふと、ずっと前に国語の教科書で見たフレーズが浮かんだ。
「……東京には本当の空がない」
「は? 何? 智恵子抄?」
 何なの突然、と訊かれて、わたしは少し唸った。たぶん笑うと思うんだけど、と前置きをする。
「ずっとね、思ってたんだけどね」
「うん」
「『本当の空がない』って、勝手なこと言ってくれるよね」
 たっぷり一拍おいて、ミサキが笑い出した。そんなに面白いことを言ったかと思うほど、身をよじって笑っている。笑われるだろうと思っていたから気にはしないが、こんなにうけるとは思わなかった。
「そんなに面白い?」
 そう尋ねると、ミサキは息を整えながら面白いよーと言った。
「だってあんた、仮にも近代詩の名作に……」
 余韻がおさまらない様子で、ミサキはまだ笑っている。さすがにしつこいので、いつまで笑ってんのと軽くにらんでやるとどうにか笑うのをこらえ、それで、と促した。
「カナの反論は?」
「そりゃあ、智恵子の故郷はすごいキレイな空だったんだろうと思うよ」
 以前、写真で見た景色を思い出す。春をむかえても雪をかぶったままの山と、遮るものが何もない広い空。ずっとずっと高い青。
「でも、わたしは東京の空も結構好きなんだよね」
 確かに、あの景色にあるような空は東京にはない。あの空に比べたら、低くて、色だって濁っている。
「そんなにキレイな色じゃないし、ビルに遮られてるし電線は多いし、ぬけるような開けた青空なんて確かに見えないけどさ」
「でも好きなんだ?」
 うん、と頷いた。
「すごく、人間が生きてる感じがする」
 空を覆うチリも高いビルも電線も、全部人間が生きるためにつくりだしたものだ。
 都市という場所で生きるためにつくりだしたものだ。
 あれもこれも手に入れたい、なんていう子供みたいなわがままさは、決して良いこととは言えない。けれど、そういう欲の深さも人間だから、東京の空は人間が生きている感じがする。
 東京には、美しい自然の空はないけれど、人間の空がある。
「そっかあ……うん、そうだね」
 わたしの言葉にミサキがやけに素直に頷くので、なんだか照れくさくなって、まあテストとかには使えないけどね、と笑ってごまかした。タイミング良く、マナーモードの携帯が震えてくれた。
「あ、何かメールきた……サチコ先輩だ! 明日部活見に来るって!」
「ホントに!? 嬉しいー!」
 受験を終えた先輩に久しぶりに会えることで、わたしたちはすっかり嬉しくなってふざけて手をつないだ。
 この坂を上りきったらさよならをする。
 そしてまた明日、この空の下でわたしたちは会うのだ。

20040319

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