天高く

 死んじゃえばーか、と呟いた。
 それは誰かに対して言ったわけでもなく、最近のわたしの単なる口癖だった。
 いや、言葉の向かう対象はちゃんとある。わたし自身だ。
 昔っから頭が悪くて(学校の成績以外でも)、だから要領が悪くて、でも多少の生きる知恵というものを持っていて(それはつまりずる賢さということ)。
 周囲になじめないわけじゃない。わたしはどこからどう見ても何から何まで並だから、はみだすということがない。それは生きるには便利だ。
 でも楽しいわけでもない。
 わたしはとても我侭なんだと思う。良い方向、悪い方向、どっちでもいいからはみ出したいと願っている。世界にわたしだけ、とまではいかなくとも、わたしとイコールでつながる特別な何かを欲している。
 ……そう願っているだけで、動くに至らないからわたしは並なんだ。それはわかっている。
 ばかみたいだ。
「死んじゃえよ、ばか」
 数学の真田が例題解説にいそしむ声にまぎれるように、小さくもう一度呟いた。(自分でそうしたくせに、見事に真田に負ける自分の声に嫌気がさした)
 真田が板書し始めたとたん、かさり、と机の端で音がした。目をやると、小さなノートの切れ端がある。隣の席の水口をちらりと見れば、水口は紙片を見るよう、目で促した。
 乱雑に折ってあるそれを開くと、短い一文。
 <さっき何か言った?>
 驚いた。あの呟きが、たとえ50センチも離れていない隣席であろうと聞こえるはずがない。小さすぎて自分で嫌になったくらいなのに。
 それに、あんなみっともない言葉なんか誰にも聞かれたくない。水口なら尚更だ。水口は本当に楽しく話せる友達だから、こんな余計な話はしたくない。
 <何も言ってない。何か聞こえた?>
 水口の一文の下にそう書いて、教師の目を盗んで返した。するとたいして間を置かず、再び紙片が戻ってくる。
 <うん。消えたいって聞こえた>
 一瞬、息が止まった。紙片を持つ手も心臓も強ばる。
 気のせいなんじゃないの。そう書いて返したいのに、わたしの手はどうしてだか動かない。
 水口の顔を見ようと目線を動かすと、運悪く教師と目が合ってしまった。慌てて紙片を手の中に隠す。くしゃりと紙の潰れる感触。タイミング良く終了のチャイムが鳴った。
 授業から解放されて周囲がざわめく。木村、と水口に呼ばれた。
「ちょっとつきあって」

 水口にしたがって教室を出ると、彼は自販機でレモンティーを2本買い、屋上へ向かった。
「さみー」
 屋上のドアを開けて、水口は大げさに震えてみせた。10月も半ばになれば風は冷たいが、震えるほどではない。わざとらしい様子を笑おうとして、うまくできなかった。
「風よけになるかな」
 こっちこっち、と手招きされる。のろのろとそれについて行き、給水塔の陰に座った。
 ホットにして正解、と差し出されたレモンティーを受け取ると、次の授業の開始を告げるチャイムが鳴った。サボりになっちゃうな、と少し思ったけれど口には出さなかった。
 しばらくふたりとも無言でレモンティーをすする。あたたかくて甘いレモンティーは、肌寒いこの場所にはよく合った。
「さっきさ」
 先に口を開いたのは水口の方だった。
「オレ、余計なこと言ったかもしんない。ごめんな」
「……何が」
「消えたいって聞こえたって」
「それ、気のせいだから。わたし何も言ってないし」
 レモンティーで気持ちも体もいくらかほぐれたわたしは、そう言うことができた。これで水口が納得して笑ってくれればいい。そう願ったけれど、水口は笑ってくれなかった。
「正確に言うとさあ、あの時、死んじゃえって聞こえたんだよな」
「…………」
「言っただろ、死んじゃえって。2回」
「……言ってないよ」
 水口から顔を背ける。小さいため息が聞こえた。
「ごめん、なんか……責めてるとかそういうんじゃなくて……。木村さ、時々悩んでるっぽい顔するじゃん。それが気になっててさ」
 慎重に、水口は言葉を紡ぐ。言葉を選んでぽつぽつ話す水口の優しさは、わたしなんかにはもったいない。それは柔らかくあたたかく、わたしなんかが受け取ってはいけないものだという気がする。
 わたしは膝に頭を乗せて、カメが甲羅にもぐるように体を縮こめた。
「そしたらさっき木村が死んじゃえって言ったのが聞こえて、最初はそれ真田のこと言ってんのかと思ったんだけどそんな感じでもなくて、2回目に言ったのを聞いたら突然、ああ消えたいって意味なんだって思って」
 一向に反応を返さないわたしを不審に思ったのか、聞いてんの、と訝しがる。わたしは頷きもしないで、じっと体を縮こめたままでいた。小さく間を置いて、まあいいや、と言うのが聞こえた。
「聞きたくないんならいいけど、オレが言いたいだけだから言うけど、オレ、木村のことは友達っていうか、友達なんだけど普通とはちょっと違うっていうか……木村が悩んでるみたいだと心配なんだよ。すごく」
 穏やかに話していた水口の声が、だんだん真剣な重い響きになっていく。その変化がなんだか怖く感じられて、わたしはそろそろと顔をあげ、水口の様子をうかがう。
 水口はわたしをじっと見ていて、……目が合ってしまった。
「何そんなに悩んでるか知んないけど、消えたいとか言うなよ。木村がいなくなったら、オレ困る」
「…………何で」
「わかんないけど、木村がいた方がいい」
 わたしをまっすぐに見て、そう言った水口の姿が突然輪郭を失った。同時に、えっ何だよ、と焦る声がする。わたしは慌てて、膝に顔を埋めた。
「何だよ、オレそんな悪いこと言ったかよ……」
 わたしは必死で首を振った。声を出したら本気で泣いてしまいそうだった。ごしごしと顔をぬぐい、鼻をすすって息を整えて、ようやく、ごめん、と口を開いた。
「違う、水口が悪いんじゃなくて……ありがと。なんか楽になったよ」
 もう一度、ありがと、と言ったら、自然と顔が笑えた。それを見た水口も、同じように笑った。
 水口は安心したのか、あーあ、と大きく伸びをする。
「6時間目、サボりになっちゃったなあ」
「今さらじゃん。だいたいここ連れてきたの水口だし」
「うるせえなあ」
「いいんじゃない? 今日天気良いし」
 わたしがそう言うと、だな、と水口も言った。
 10月の高い空を見ながら、わたしたちはすっかり冷めたレモンティーを飲んだ。

20040218

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