前夜

 町じゅうの街灯に、灯(あかり)がともる。
「あ! ジュンイチ見ろよ、ついた!」
 アツシが嬉しそうに声をあげ、どこともつかない場所を指した。
 夕日はほとんど山の向こうに沈み、朱(あか)かった空はあらかた藍色に変化していた。そこに、街灯の白い灯はよく映えている。
 安っぽい光は、この小さな町によく似合う。少し、哀しいくらいに。
「小さいなあ」
 僕は思わず呟いた。脈絡などなかったが、アツシには通じた。そうだな、という応えがある。 この高台にのぼればすべてを見渡せてしまえるほど、この町は小さい。
 中央の商店街はごちゃごちゃとしていて、周囲は家がぽつぽつとあるばかり。四方は山だ。もっと暗くなれば、ちゃんと星も見える。
 雑草の茂る地面に直接座り込み、僕らは無言で小さな町を見下ろしていた。
「なあ」
 不意にアツシに呼びかけられて、僕はそちらを向いた。あっさりと軽いキスを受けてしまう。
「うわっ、バカ!」
 僕は慌てて顔を隠した。アツシは楽しそうに笑っている。
「ジュンイチ顔赤いー。照れすぎ、お前」
「見られたらどうすんだよ!」
「誰も来ないって。こんな町外れ」
 だから来たんだろ、とアツシは言う。僕は言い返せなかった。
 この高台は、町の果てのような外れにある。坂が舗装されているわけでもないし、特に何があるわけでもない。好んでこんな所に来るのは、僕らぐらいのものだ。
 だから、ここなら僕らはゆっくり会うことができるのだ。
 こんな小さな町で、僕らが自分に正直になるのは難しいことだった。こんな気持ちは、ずっと遠い場所にあるものだと思っていた。
 そのうえ気持ちを伝えて認め合うなんて、まるで現実味のない奇跡のような話だった。
 それでも、僕らはお互いを得られたのだ。
 こんな、小さな町で。
「いつまで照れてんだよー」
 アツシが笑って抱きついてきた。僕の肩に腕をまわす。僕はまだ顔を隠したまま、バカアツシ、とぼそりと呟いた。
 けれど、アツシの腕を振り払うことはしない。
 笑いの余韻を残したまま、アツシはもう一度、なあ、と声をかけた。
「何だよ」
「休みになったら、ちゃんと帰ってくるからさ」
「…………」
「お前も、そしたら仕事休めよな」
 静かに、何でもないように、アツシは言う。僕は何も言えなくなった。
 明日、アツシは大学へ行くために遠い都市へ行く。
 僕は地元で就職が決まっている。
 明日からは、こんな風に会えない。
「……あー、泣く」
 僕の少し鼻をすする音を聞きつけて、アツシが意地悪そうに笑った。耳のすぐそばで、その笑い声がする。
 僕は声に出さずに、笑うな、と言って、ぼろぼろと本格的に泣き出した。
「バーカ」
 アツシは笑って、僕をさらに抱きしめた。
 アツシの行く都市は、遠くて、この町なんかよりずっと大きい。そこは僕らのような人間を受け入れ、理解し、あるいは黙認してくれるだろう。
 そして、アツシは新しい人間に出会うだろう。
 こんな町に残る僕のことなど忘れてしまうかもしれない。
 進路が分かれてしまうことがわかってから、ずっと懸念していたことだ。
 それはいつか、本当に現実になるかもしれない。
 それでも今は、僕を抱きしめているアツシの腕が、帰ってくると言ったアツシの声が、僕の現実としてある。
 今、ここに、あるのだ。
「なあ」
 三度目の、アツシの呼びかけ。
 僕はのろのろと顔を向け、長いキスをした。

20070819

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